「与える喜び」 シスター入江純子
「惜しまず豊かにまく人は、刈り入れも豊かなのです」
「コリントの信徒への手紙Ⅱ」第9章6節~
6月の梅雨の時は、種を蒔くとよく根づいて成長する季節です。この個所を読んでまず思い出したことは、ゴッホの「種まく人」の絵画でした。大きな袋に種を入れて、大きな一歩を踏み出し、草の生えている整地されていない大地に惜しげもなくバラバラと蒔いている姿です。
新幹線の車窓からは、整然と整地された田んぼに稲穂がたわわに実ってパッチワークを見ている風景が見られます。
今日のみ言葉は惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしょうと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。
「彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く」と書いてあるとおりです。
種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。
喜んで蒔く人とは、義務として与える人ではなく、自己満足のためではなく、自分を美化するためではなく、愛に迫られて与える、こうせざるをえないから与えるのです。
神は世を愛されたがゆえに、私たちにそのひとり子を与えられたのです。
私たちにとってどんな豊かな刈り入れが待っているのでしょうか。
愛において富めるものになる。
友に富めるものになる。
助け手に恵まれる。
他者に対して心と手を広げたことが私を豊かにするのです。
私がもっている種は神からいただいたもの。その種は豊かに実を結ぶ力を持っています。蒔く人は私
です。そのような貴重なものを惜しんで蒔いてはならないですね。
種を蒔くには季節や天候に左右されます。
神様から預かっている私の種を蒔く時だと感じたなら、大きく一歩を踏み出して「種を蒔く人」のように
惜しげもなく蒔きましょう。
刈り入れは神様がされます。
私には今を生きている手ごたえのある大きな喜びが与えられます。
シスターのひとりごと
私は何の種かな。大豆,あずき?
いいえ 神様が与える種はきっと人を愛する「愛の種」でしょう。